あたいの2024その1

 

 

今、高雄のゲストハウスにいる。もう台湾に来て2週間経つのだというから信じられない。3ヶ月、4ヶ月ぐらい台湾にいるような気がする。言語の習熟はもはや皆無だけど、知らない街で過ごすことがこんなにも時間が長く、重く、それでも振り返ればあっという間でもあったりする。あと1週間で沖縄に帰るということを思えば不安になったりもする。今回、すべてを投げ捨てたくて、沖縄から出てきた。その沖縄に帰らないといけないのはやや不安であり、ストレスも感じる。会いたい人はたくさんいるけれど、もう顔を合わせたくない人もいる。困ったものだ。今日のこの走り書きは、帰るにあたって考えていることを3月末までの予定という感じで立てたい。

 

まず、2024年は、移動をたくさんする年にしたい。沖縄の今借りている部屋にいるのはとても苦しい。そこにいる必要はもうない。不自由や不正義を選びつづける必要はない。部屋を変えるのと同時に、どこででもノマド的に生きられるようにしたい。本土にもよく行く、海外にもよく行く、そういう生活にしたい。移動しながらその場その場でできることをやる。なんというかそれによって本質がずれないかが心配ではある。

 

帰ってまず、台湾のことをまとめないといけないと思う。7号を毎日少しずつ作り、3月中旬までに発行できたらいい。作業できる場所は必要なので、安く提供してくれる人を探そう。期間は3月からまずは1年ぐらい。

その間に口座もちゃんと作りたい。3月4月は出版に向けて一生懸命動く。5月には出版できたらいいな。

今までがなんだったのかを少し考えたい。それを整理するための出版になる。

そして、それから続きを考えたい。8号以降ね。

 

2月 7号のためと本のための準備

3から5月 本のための準備

5月から9月 本を売る?

9月とかになんか面白いことできたら。

年内に8号をはじめられたらいいな。

 

まあ要はうみかじを続けたいけど、どういう方向性でどういう感じにつづけるのかということをちゃんと考えたいし、いろんな人と話してみたい。いろんなことを試してみたい。例えば人と何かをするとか。

 

はっきり言って生活の要素をこの1年半無視してきた。生活がボロボロだ。基本的な普段の生活において、本を読む時間を圧倒的に確保したい。ゼロから知識を作り直したい。あと健康。ちゃんと、病院に行きましょうい。襟足伸ばしたい。

 

まあそんな感じ

一ヶ月後にもう一度ブログを書く頃には、7号は進んでいるかしら、サイトはできているかしら。ワクワク。

果て

風邪をひいた。今年最後の風邪だといいな。今年最後の風邪なんだろう、本当に嫌になる。とっとと死んだ方が楽にならないか。そんなふうに思う。

 

なんのために自分は生きているのか、根本的にもうわからない。

今までしてきたことを何も肯定的に捉えることができない。

今までの「ありがとう」も、「さようなら」も。

もう何もわからない。

 

あと一冊作らないといけない。

本当にもう馬鹿げている、気が狂いそうだ。

自分自身が戦争に飲み込まれそうな気がしている。

大丈夫だろうか。大丈夫ではない。

大丈夫ではなくなったらどうしたらいいのだろう。

 

 

 

花弁

どんどん ひどい顔に なっている

きっとひとには 醜く うつってる

腫れぼったいような 重い瞳

ほそぼそとなっていく するどい一重

色を失い散る はなびら

 

胸いっぱいに 死の香り

まごうことなき きみの翳り

たった ひとり分のだるい体重で

足がまっすぐ伸びなくて歩けない

道端に落ちた はなびら

 

ああ

風よ ひとよ 散りゆく白さよ

なにも どれも 

そんな 荒れ狂わないで

ちゃんとめぐっていないはずの

わたしの血が

ぷしゅっとあふれた はなびら

 

あああ

かわいくない 顔面には似合わない

なんか 今日は

なみだ かわいそうだ

こんなままじゃ だめだと

言い切ってくれない海で

青い空に舞い散る はなびら

はっきり申し上げるならば、もう「沖縄」や「辺野古」を語る言葉を持ち得ておらず、何なら最初から持ち得ていないわけです。わたしは最初の最初から、抗議者のひとりとしてではなく、ただ言葉を持ち得ないものとして「いま・ここ」に来ており、「いま・ここ」の自分に密かに忍び寄ることでしか、言葉が生まれない。それはつまり、幼児のような自分を見つめることに過ぎず、独りよがりになりそうにもなる。なんてこった。だが転換点もある。自分の言葉なるものを所有したいという欲望から離れた瞬間、そう、わたしの言葉ではない、という地点からであれば、言葉が溢れ出てくる。これはなんなのか。